ポルトガル旅行  


二度目の個人旅行ポルトガル

個人旅行でポルトガルに行けるとは夢にも思わなかったが、1999年11月に又従兄弟の古閑氏(私のスクーバーダイビングコーチ)が英語フランス語ドイツ語の出来る仲間6人と11日間ポルトガルをレンターカーで一周する話を聞き俄然その気になった。

帰国後Eメールでタクシー事情・マネーチェンジの手数料など詳しい情報を送ってもらった。
 関東に住む仲間の一人、佐伯さんから計画などをチェックして貰うようにとのことで12月4日、千葉に佐伯さんを訪ね、ポルトガルの概要からポウサーダの意味など詳しい説明を受けた。 時期は2000年3月1日から25日間、最南端のサグレスから北端のヴイアナ・ド・カステロまで11ヶ所に宿泊することとして、格安航空券の購入なども依頼した。日本からの直行便は無いのでルフトハンザでフランクフルト経由とした。世界遺産その他の観光場所・宿泊数の決定などはEーMAILで相談して決めた。
地球の歩き方」と昭文社の「個人旅行ポルトガル」を購入してバスと列車利用で計画したが、地方都市は首都リスボンからのアクセスが書いてあるのみ。後は現地で調べるしか無いらしい。麹町にポルトガル投資観光・貿易振興庁があり訪ねたが現地で調べてくださいとのことだった。
言葉は全然解らないのでJTB「ひとり歩きの会話集」を購入し何時もポケットに入れて歩いた。現地でまごつくと思い、王宮ホテル・国営ホテルのポウサーダは前年中に、その他のホテルは1月中にFAXで全部予約した。 ポルトガルは種子島への鉄砲伝来以来日本とは関係の深い国で、赤玉ポートワイン、長崎カステーラなど元はポルトガルだ。 国土は南北に細長く面積約9万2千平方キロ(日本の1/4)人口約1千万人、隣国のスペインに一時占領されていたが、500年前、エンリケ航海王子などの活躍により大航海時代にはインドからの香辛料の独占、ブラジル植民地化と金発見による繁栄の時代があった。 リスボン大地震、ナポレオン侵入やその後の内乱を経て現在は共和制で第2次大戦は中立、EUには1986年に加盟している。ビザ・入国手続きも不要で荷物検査も無い。パスポートにはフランクフルトで1度押印したのみで通貨以外はEUROが既に機能している様だ。どんな小さな店でもレシートにはEURO金額が併記してあった。 政情は安定しているし、観光地にはポリスが多数巡回しているので治安は良い。気候温暖、日本の春を過ぎた初夏の気候だった。天候にも恵まれスモッグの無い真っ青の空が毎日続いた。 今回は大型スーツケースはやめてキャリー2個にしたが、布製バッグ1個分の衣類はリスボンのホテルに預けて旅をした。
何処の都市も石畳の坂が多い街でキャリーの運搬には少々困った。
 一番困ったのはバスでバスターミナルの確認や乗り続ぎで、ドキドキはらはらしたのは何度もあった。
利用したバス会社は全部で9社。時刻表もまちまちで有ったり無かったり。シニア割り引きは殆んど無かった。高速道路は全国縦断道路が完成しているので幹線道路を走るときは気持ちがいいが一歩市内に入るや渋滞、また渋滞の連続。 ホテルのチェックインは午前中でも入室OK。どんな安宿でも朝食付きでコーヒー、ミルクはポットになみなみと入っている。 コンセントはC型アダプターを持って行ったので旅行用湯沸かし器がドイツでも使えて大変重宝した。日本茶は毎日湧かして梅干しと共に愛用、持ち込んだ500CCのペットボトルは容器が丈夫で旅の終わりまで持ち歩いた。またカップラーメンの紙容器も丈夫で携帯みそ汁の器として毎日活躍した。日本食が恋しくなるからとアルファ米18食分を持参して赤飯・五目飯・山菜飯といろいろ楽しんだ。 物価は大変安く日本の半額以下で、食事も日本人好みで鰯や鰺の炭火での丸焼きや米を使った雑煮風の料理など何処でも美味しかった。 転んで怪我したり、家内は靴が合わなくて指を痛めたり、ホテルを間違えたりとハプニングはあったが、現地の人との交流もあり、実に楽しい旅だった。日本人のツアーに出逢ったのは2回、個人旅行のシニア2人組は何処にもいなかった。
25日間の貧乏旅行珍道中の旅行記から数点をピックアップしてみました。

★マネーチェンジは銀行より民間両替所がお得
銀行でマネーチェンジ手数料を尋ねると1,850$。リスボンの民間ユタ両替所では500$とのことで8万円交換して145,900$(100$=55円)。

★タクシー事情
 ☆リスボンのタクシには気をつけよう
古閑氏から真夜中の到着なのでタクシーには要注意とのメールを貰っていたので運転手にタクシーは1,500$と書いたホテルからのFAXを示して乗り込んだ。親切な運転手でホテルの門扉のベルを押してくれたのでカチリとロック解除音がして門扉が開いた。 ☆ヴイアナ・ド・カステロからリスボンに着いたときはタクシーが次々に寄ってくる。その1台にバスのドライバーが我々のホテルの場所を説明してくれたので安心して荷物を積み込み、再度ガイドブックの地図を見せた。OKと言って走り出したが見覚えのないところばかり走りローマはそこにあると言うので降りてみると全く別の場所にあるホテル・ローマだった。我々のはレジデンシャル・ローマで違うと言って再度ロシオ駅の近くと説明して走り出す。結果は料金は3倍、荷物はホテルの2階まで運ぶ約束にしてあったがチップが少ないと言う。ガイドブックにはローマとだけでレジデンシャルが書いてなかったので意識的に遠回りしたのか?リスボンには雲助運転手が多い。 ☆空港へはホテルからタクシーを呼んでもらったが、最後にまたまた嫌な思いをした。反対方向へ走りだし、雨の中を川沿いに走り随分と迂回して空港に到着した。ラッシュで渋滞を避けたのか定かでないが走行料金1770$別に750$(300$がトランクの荷物分、450$が電話呼び出し分の筈)で2,520$のメーター表示なのに電話は別だからと3,000$要求、着いた時よりも倍の料金を払わされた。近くにいたポリスを呼べばよかったと後で思った。

★バス事情
☆ファーロからエヴオーラ行きバスの運転手は乱暴だった
 Rede eXpresso社で7時45分発(950$約520円)出発間際になってトイレに行った家内が帰ってこない。トイレのドアーが内から開かなくなって大声をあげ外から開けてもらったと息を弾ませて戻ってきた。運転手はクラクションを鳴らして督促するしすぐ出発して事なきを得たが。バスは途中休憩があったがそのとき外国人3人を残したまま発車したらしくヒッチハイクで追いかけてきてバスの前に止まり乗り移ってきた。このバスの運転手はいい加減なものだ。私達は2階席の最前列に乗っていたが、通路を挟んで寝転がっていた時、急ブレーキがかかり床にドスンと落ちてしまった。5列位後ろのおばさんが興奮した様子で怒なっている。私の態度を責めてるのかと思ったがどうも運転手に注意してる様子で安心、バスは12時10分無事エヴオーラに到着した。 ☆バスは事前によく調べることが肝要
☆エボーラからオビドスへはリスボンで乗り換えたが、リスボンのサルダーニャ(ラゴス行きと同じターミナル)に7時55分に到着した。2階の待合室でホットドッグとココアで朝食を取り、念のため係りへキップを見せたら10時発をペンで9時に書き換えた。こちらにとっては待ち時間が短縮されて好都合だが、これもいい加減だと思った。
☆オビドスのiセンターのすぐ近くにバス案内所があり明日のバターリア行きバスの時刻を尋ねる。9:55、11:30、15:20の3本とのことで9:55に決め、バス停へ行きバスはどの方向から来るのか判断できなくて再度案内所で確認する。
☆ギラマンイスからブラガ行きは他社のバスもあるが、乗り換えてヴイアナ・ド・カステロへ行くのはREDM社のバスに乗らないとバスターミナルが違うらしい。何処のレーンに入ってくるのか果たして9時発なのか英語を話す地元の人に聞いてやっと分かった。おんぼろバスが9時に入ってきた。荷物は両開きの片側を締め切ってあるステップに置けという。車内でブラガまでのキップを買う、370$。田舎の道をのんびり走ること1時間でブラガに着いた。
 

★ホテルについて
フロントではパスポートの提示を求められる。パスポートは何処のホテルでも提示又は一時預かるところもあった。
☆リスボンのホテルの裏窓からみ見えるのはアパートの洗濯物ばかりで眺めは悪いが、ツインベッドでバスタブもあり朝食付きで1室1泊8,400$(1人約2,300円)と安いホテルだった。
☆ポルトガル最南端のサグレスの国営ホテルは訪れてよかった リスボンからラゴス乗換えで1日がかりで到着した。荒涼とした大地を抜けゴーストタウンみたいな所で降ろされ、ずいぶん遠くへ来たものだと思ったが、ホテルはポウサーダ・インファンテ。平屋建の高級ホテルだった。窓からは眼下に太西洋、遙か彼方にサグレス岬が絵のように見える。フロントでレストランの予約をして一番はずれの101号室に入る。部屋は明るく広いし、大理石張りの浴室も豪華。庭のプールには満々と水があふれていたが泳ぐにはちょっと涼しかった。夕食は7時半からと聞いていたが誰もいない。勇気を出して入っていく。今日のお勧めはスズキの炭火魚、日本食風でナイフとホークで食べる味も乙なもの。我々にぴったりの味で美味しかった。客も次第に増え、日本人の若い女性2人連れがいたが彼女たちは夜中にリスボン到着は怖いからとフランクフルトで1泊した由。残念だったのは給湯管が錆び付いてるのか湯水の出がちょろちょろで、熱い浴槽で足を伸ばしてリラックスできなかったこと。シャワーを浴びて11時半チェックアウト。朝食付き宿泊費一室16,300$(1人約4,500円)。玄関を出て歩き始めたらホテルマンが街のバス停まで車で送てくれると言う。親切に感謝してチップを渡した。
☆ファーロのホテルエレベータ内は真っ暗
 イビス・ファーロの114号室。若いフロントの女子は「そこを曲がって右、エンジョイ」と言って姿を消してしまった。右にはエレベーターがあるのみで114号室は2階だと理解するまで頭の中はグルグル回り。エレベーターに乗ったらすぐ中は真っ暗になった。何処に押しボタンがあるかも解らない。節電の為らしいがちょっと早すぎる。家内に落ち着けと一喝して指に触ったボタンを押したらパッと明るくなってやっとご到着。ゆっくりバスタブにつかる。イビスの朝食は6時半からOKなのでキャリーを引いて食堂に降りて行く。7時チェックアウト。宿泊費は7,400$1人約2,000円。此処でも中庭のプールに水がはってあった。
☆ブサコのパレスホテルは宮殿をそのまま使用しているので壮麗にして豪華


プサコ王宮ホテル

パレス・ホテルは広大な国立公園の中にありカルロス一世の命により1907年に完成したがその直後王政廃止となり王宮としては殆ど使われなかったとか。外観は捻り柱など彫刻の緻密さ壮大さに驚く。階段やロビーなどのタイル装飾アズレージョも見事。庭園は昔の姿のまま整備されている。到着後すぐホテルレストランで昼食をとり2人前を3人(エボーラで知り合ったコインブラ大学に留学している女子大生加藤志保さんを招待)でセアーしたが、丁度良い量だった。部屋にはシャンデリアがあり豪華な作りに感動した。宿泊費1人1泊7,900円。志保さんは5月に来るご両親の部屋の予約が出来て喜んでおられた。日本人旅行者9人連れが1泊していたがポウサーダばかりのホテル10日間で60万円と言っていた。志保さんの話ではポルトガルは物価は安いが先生の給料は月6万円位でポルトガル人はとても此処へは泊まれないでしうとのことだった。☆予約したホテルを間違え隣のホテルに泊まってしまった ポルトでタクシからホテル前で降りる。そこはアリアードス大通りに面して5階建てのビルが隙間無く並んでいる。予約したホテルはペンサオ・パウリスタ。降り た所にペンサオ・・・の文字があったので何の疑いもなく入っていった。玄関の突き当たりにエレベーターと階段があるだけ。エレベーターに乗り込み、当然出口は同じ方向と信じていたら右側の窓からフロントが見えた。ポルトガルのエレベーターの箱には扉が無いのが多い。登り降りの度に壁が見えたり扉が見えたりで目が回りそう。2〜3度やり過ごしてやっと2階で停止した。扉は押して開ける。 フロントのおばさんがさっきからエレベーターの動きを見ていたようだ。これまではホテルからのFAXを提示していたが、にこにこして対応するので遂FAXを見せるのを省略した。家内が3日目にホテルが違っていることに気が付いた。縦に大きくレジデンスの看板が出ているのがパウリスタでペンサオ・・・は隣のホテルだった。フロントのおばさんにFAXを見せたら「そんなのは破いてしまえば問題ない」との動作をする。今更引っ越すのも煩わしいのでそのままにしたが違約金の請求もこなかった。
☆ヴイアナ・ド・カステロの国営ホテルは豪華で廉価だった

サンタ・ルジア山頂の国営ホテルと教会

ポウサーダ・サンタ・ルジアはサンタ・ルジア山頂にホテルとして1979年に完成、サンタ・ルジア教会を見下ろす位置にある。晴天に恵まれ眺望抜群、市街やリマ川を眼下に、遠く大西洋を望むことが出来た。部屋は東南の角なので洗面所浴室も明るく最高のホテルだった。ホテル代は3月31日までと曜日の関係で4割引きとなり、1人1泊2,900円。最高のホテルで、この価格、2度と経験することは出来ないだろうと思った。
★人々は親切
☆ラゴスで炭火焼き専門店のアデーガ・ダ・マリーナへ入ったが混んでて出発時間が気になるほどだった。鰯と鶏肉の炭火焼きを注文したが皆美味しかった。隣の席の2人連れの地元の客が家内の似顔絵を描いてくれた。お礼にシャープペンを進呈したらペンの紙袋にサインしてくれと言われたりワインをご馳走になったり楽しい交流をした。
☆ポルトでドン・ルイス一世橋下の土産物店街を散策していると7人連れ男女の若者が日本語で「さよなら」と言ってにっこりしてるので「コケコッコー」と笑って雄鶏の土産を探してる旨を告げると皆走り寄って来て我々と一緒に写真を撮った。
☆ヴイアナドカステロのバスターミナルは寂れていて誰もいない。最後まで乗っていたのは我々だけで、一瞬不安になった。ドライバーにタクシーを尋ねたら親切に事務所まで案内してタクシーを頼んでくれた。事務所の人が見送ってくれた。
★物価は安い
 ☆ルソーの市場でパンを買ったが、1個10円以下だった。子供のこぶし位の大きな莓は1個約7円。
☆畑でレモンを取ってるおばあさんにボンジアと声をかけ一緒に写真を撮り、レモンを分けて欲しいと20$2枚(20円)差し出したら5個もいでくれたのでオブリガード(有り難う)を繰り返して別れた。
言葉は通じなくても旅は出来ることを体験して、自信がわいてきた旅行でした。元気なうちに、また他の国にチャレンジして見たいと思っています。
                 
 
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