永江純一君の模型飛行機


第二次大戦中に使用された軍用機を中心に彼が組み立てた作品の中の一部です


末尾に作者の挨拶を掲載しています















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作者の挨拶

どうゆうわけで凝り始めたのかハッキリしない。友人の一人が帆船模型に夢中で1年かかっても完成しないと話していたのが、キッカケなのか、3度目の勤め先の玄関にビンに入った大きな船があった印象が何処かに残っていたのか、ともかく作り始めたのが2004年の6月だった。吉祥寺の湯沢屋が材料の仕入先だが、今ではキキャッシャーのおばさんや、サービスのお兄ちゃんともすっかりお馴染みで、多少の無理な注文や相談も気軽に聞いて貰えるようになった。 戦艦「武蔵」や空母「龍驤」駆逐艦「雪風」等も作ったが、予科練出身者となれば、やっぱり飛行機。零戦をはじめライト兄弟の フライヤー1号に始まるプロペラ機、ヘリコプターと、作った機が百台以上。小さな陳列台には入りきらずに12段の靴棚を6セット 購入して毎日1台ずつ玄関に飾っています。 作る喜びと贈って喜ばれる楽しさから既に投資額20万になろうとしています。この間も元整備士の水道屋のお兄さんが、「旦那に叱られる、叱られる」と言いながら私の留守中に8台持って帰った由。外交官の未亡人でピアノの先生がいて、この人が又「特攻」が好きで、零戦を作ってくれと注文されたが、パイロットの白い襟巻きが絹の落下傘の端切れだと教えてあげたら、震洋艇の話を2時間も聴いてくれた。 最初は戦没者の供養にと千羽鶴ならぬ「千台零戦」を目指そうと考えたが、計算すると15年以上かかることが分かり、諦めました。手が震えて0.5mmのプラ部品が掴めなくなるまでは続けようと、壊したり、作り変えたり、塗り替えたり。片手にかざして「ぶーん」とか「ごー」とか叫びながら部屋中を走り回るほどのマニアではありませんが、まあそれなりに楽しんでいます。ラジコン(RC)はやらないのかと人によく言われるのですが、近所に住む息子が、近くの調布飛行場のグランドで飛ばして一発で激突、大破したのを見ているし、第一、自分が搭乗しないで地上から動かしたりするのは、整備隊の仕事と思えるのでやる気になれない。(そんな事を言えば、プラモ作りも同じようなものですが・・・)
孫3人は女ばかりですが、一人は「紅の豚」の水上機と零戦と「紫電」、あと二人は全日空の父をもつせいか、A300やロングボー/アパッチの攻撃ヘリを飾ってるようです。プラモ100台と自慢していますが、2005年11月に行った入間空自の陸軍航空士官学校跡地の記念館には2千台以上、今昔のプラモが陳列してあり、どうやら専門のプラマーがいるらしい。入間の航空自衛隊はご存知でしょうが、御巣鷹山のJAL事故の時に救助にあたったようで「桜花」のロケット機を再現して展示しています。一式陸上攻撃機が「桜花」を抱いて敵艦手前4キロで発進、日の丸はつけず、桜の花マークだけで突入した様子は靖国神社の遊就館のジオラマに再現されています。

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